L to R
Vo.Gt. Hiroaki Nittono
Dr. Ryoh Wakao
Ba.Cho. Keiji Wada
Gt.Cho. Akiyuki Yamada
※以下、山田目線でのストーリーです。
僕たちが山梨県のとある高校に通っていた頃――
と話を持ちかけてきた男が居た。
Vo.入戸野(にっとの)だった。
Vo.入戸野とは3年間違うクラスだったが、
選択の授業で同じ科目を取っており、
顔を合わせれば挨拶をする程度の仲だった。
僕たちはお互いをよく知らなかった。
好奇心に負け、休日、Vo.入戸野の家に遊びに行くと、
そのドラマーは居なかった。
Vo.入戸野の家はとても広かった。
なぜか業務用の冷蔵庫や、レーザープリンターが置いてあった。
他にもドラムセットや、ギターアンプ、カセットカラオケ、
大量のお菓子があった。
僕たちは紅を弾いた。
しかも数フレーズのみを延々と。
全然弾けなかった。イントロとギターソロだけ弾きがち。
いつからか、Ba.和田もDr.若尾も居た。
ここで、当時の様子を簡単に紹介する。
・ギター部に所属(しばらくして退部する)
・入戸野の姿を初めて認知したのは、
体格の良い女の子にタックルされて草むらに突っ込んでいた時
・当時から茹でる前のパスタより体が細かった
・軽音楽部に所属
・演奏会にて、背面でギターを弾き、女子をドン引きさせる
・当時から毛深い
・ギター部、軽音楽部、生徒会に所属
・当時からアクティブかつエネルギッシュ
・声が大きく、クラスの端に居ても声がよく響いた。
・当時はメガネがトレードマーク
・ギター部に所属
・ギター部の後輩からはお父さん的存在として愛されていた
・当時から身長が大きい
元々、Dr.若尾は、Vo.入戸野とコピーバンドを組んでおり、
その流れで誘われたとのこと。
Ba.和田は、軽音楽部で演奏している姿をVo.入戸野が見て、
めっちゃ良いじゃん、と思い、誘ったとのこと。
初めて4人で集まった時は、入戸野の家でお泊りをし、
夜通し曲を作ったり、練習をした。
それからと言うもの、
毎週金曜日は入戸野の家に行くことが習慣になった。
近くにある温泉に入り、
ほっともっとでのり弁当を買って食べた。
入戸野家からは頻繁に夕食をごちそうしてもらった。
気付いたら入戸野がヴォーカルだった。
キッカケなんてほんの些細なもので、
曲を作ってきたのが入戸野で、
と皆の合意で決まった。
レコーディング機材を持っている友達が居たので、
オリジナル曲を録音してCDを作ってみたりもした。
高校の卒業旅行もみんなで一緒に箱根の温泉に行った。
そんな日々がずっと続くのかな、と思っていた。
高校を卒業する頃、皆が進路を決めた。
僕の家は決して裕福ではなかったため、就職のために進学し、
そのまま就職した。
進学を理由に僕はバンドを抜けた。
僕が抜けた後、Dr.若尾も抜けたが、
それでもしばらくバンドは続いていて、
同じ高校の同級生だった、Gt.岩村、Dr.武藤が加入したと聞いた。
色々あって、Gt.岩村、Dr.武藤が抜け、活動は停止した。
その間、Ba.和田は全国を放浪、オーストラリアに旅立った。
Vo.入戸野は他のバンドのサポートをやっていたり、病気と闘っていた。
就職して数年経った頃、Vo.入戸野から連絡が来た。
あまりにも久しぶりで、何の用だろうと思っていたら、
色々あって今バンドは活動できていない、とのことだった。
そこから何ヵ月か、
山梨から片道約3時間かけて、
所沢にあるスタジオまで通った。
Ba.和田も海外から帰ってきて、
Dr.若尾もひょっこり合流して、
結局、一番最初のメンバーに戻った。
みんなで集まってバンド名を決めた。
THE GUNG BALOON
バンド名が決まって、ライブハウスに出演が決まった。
ここから僕らのバンド活動は始まった――